昭島市刊行物を取り扱っています。
昭島市域の散歩のお供に
路傍の文化財 200円
あきしまの植物 1600円
昭島の歴史 1500円
昭島市の社寺と石造遺物 700円
昭島市内の指定文化財 450円
あきしまの史跡めぐり改訂版 200円
そこが知りたい 1、000円
昭島市民手作りの財政読本
東京・あの日・あの時昭和20年代から現代へ
アーカイブ百景 東京都 400円
知られざる軍都 多摩・武蔵野を歩く
洋泉社 1,300円
コンビニなんかで万札だすと両手をこちらに突き出して、よく見てくださいよって、おつりを数えるでしょ・・・あれって手品師とおんなじしぐさだと思いません?逆に、ごまかされるんじゃないかと・・・
「ありがとうございます」や「~円からおあずかりいたします」のようにいずれはどこの店でもやりだすのでしょうかね
うちの店員は古い人間たちなので「ありがとうございました」「~円おあずかりいたします」がまだ続いているのです
最近、お問い合わせへの返答に納得されないお客様が多いような気がする。わたしの言い方が悪いのか、どこかにはあったというクチコミなのか、ネット情報なのか、
バイトばかりの店が増えて不満足な応対になっているせいか、世の中信用しにくくなっているのか。
柳の下にどじょうは2匹しか育たない。ナイスな企画のものが出て10冊おくとしたら後追いは1冊あれば充分。それより遅れたものはおかない。まあ狭い店ですから。
「仕事ができる人」というのは、「個人的に能力の高い人」のことではなく、「集団のパフォーマンスを向上させることのできる人」を指す。・・・同感
雑誌の電車吊り広告の「本日発売」のほとんどは次の日の発売です。
レジをお預かり金額を打ったあとで端数を加えて出されることがありますが、すぐお釣りをよこさないからといってバカにしないでくださいね。用意したお釣りにその金額を加えて計算しなくてはならないのですよ。暗算ではなかなか大変なこともあります。レジに頼っていますので元に戻ってやり直すことはかえって時間がかかりますし。最初からそうしていただけば暗算でもすぐ答えのでることなのですが。でも、自分が客のときに同じ事をやって、「計算が遅いな」とバカにしているのかもしれません。
「色即是空」 これだけではああそんなもんだろうなで終わってしまう。「空即是色」 と続けて初めてこれはなんだろうと思い、惑い、悩む。そしてそれは哲学になる。もっとも
空の教えでは思い、惑い、悩むこともが空でありまた空であることも空であるということであって・・・なかなか大変だ。
ところで「般若心経」の末尾で「呪」を唱えろという、これは真言とか陀羅尼とか訳されているけど早い話が呪文・おまじない。
実は釈尊ははこういったものを排斥しているのだよね。バラモン的なものの支配するところから遁れたのだから。
バラモン的なものを破るために打ち建てたことは「平等」と「反形式主義」。対機説法はそこから生み出されたものだと言えるのじゃないかな。
ただ、排斥は否定とは違う。こういったものの有効性は充分認識しながらも自分の教えには邪魔なものとしたのだろう。(孔子の「怪物乱神を語らず」も同様。否定しているわけではない。私はそういったものには関与したくないといっているのだ。)
今「仏教」の中で「呪文」を唱えることのないものを探すのはかなり困難だ。結局、「庶民」に大きく布教しようとすれば、決められた言葉や儀式を設定しておけばすむ。
思い、惑い、悩むことはやりたいものだけでいいということなのじゃないか。
風来親父(競馬)ブログ
All Rights are abandoned, All Right.
「結果がすべて」は思考停止だ。「考えること」の苦手な人たちの逃げ。一人一人にとって大切なことは「経過」だ。
「他人の飯を食う」という言葉は苦労のすすめのためのただの比喩だと思っていたがどうもそうではないようだ。上司や先輩や先生、結婚相手の実家など緊張する人との食事、
よく味がしないというが、に親しんでいないと、普段の行いとくに食事のときにわがままで怠惰になりやすいということを戒めているのではないだろうか。これはレストランなど外食の席にはあてはまらない。
相手も緊張しているかもしれないから。あくまでもホームグラウンドでリラックスしている相手のお宅での話だ。「一つ釜の飯を食う」とごっちゃになった表現だが「他人の釜の飯を食う」がより実際に近いかもしれない。
平成21年5月忌野清志郎死去 同学年で多摩地区の都立高校。オレの中学の同級生が彼やトモカズとクラスメイトだったりする。
オレが大学3年のときだから1973~4年か、小金井市民会館でのコンサート、確か大学生たちが主催していたのだと思うが、急にに出てくれと言われて、初めて著作権の手続きをしたが、
オレと相棒がトップでRCサクセションがトリだった。舞台の袖でRCの三人が突っ立っている前を通ってをステージに上がったのだけど、RCのベース(当時)の小林は高校の隣のクラスで体育がいっしょだったり、
オレのいたバンドが教室で練習していたとき覗きにきたこともあったりしたので
「よ」 というかんじでお互い軽く手をあげた、なんていうことがあったが・・・オレたちの歌とギター 清志郎に至近距離で聞かれていたということなんだよなあ(~_~;)
うちのとなりまちのテーラーK・ブラザーズでステージ衣装を作っていたそうだ。
女と寝なかったのは、多くのばあい、頼んでみなかったからだ
マルセル・パニョル
平成18年8月6日にお亡くなりになりました鈴置洋孝さんは大学の音楽サークルの2年先輩でした。
1年のときの部長だったのですが、結構体育系ぽかったですよ。
夏の清里合宿では全員ギターを肩に清泉寮から美し森へハイキング。ところどころで歌ったりして。
謹んでご冥福をお祈りいたします。